神戸合成は、国内の自動車産業が飽和している中、自動車用化学製品の製造販売で力強く事業を推進している。新しいニーズをとらえ、新商品を開発、既存商品と代替していくという同社の経営手法に注目が集まっている。海外市場も視野に入れ、飛躍の準備も進んでいるようだ。

 兵庫県明石市の北、小野工業団地(小野市)には大手企業の工場が立ち並ぶ。神戸合成の本社兼工場は、この一角にある。同社は、従業員41人の企業。だが、周りの大手企業の工場に見劣りしない建物・設備を2002年に完成、フル稼働している。
 同社は、主に自動車やバイクの販売店(ディーラー)の整備工場で使われる化学製品の製造販売している。エンジンやブレーキ、ボディーなど車の様々なところで使われる洗浄剤や塗装剤だ。多くが大手自動車メーカーなどの純正品として活用されている。
 神戸合成の事業は、1960年代、ワックスの製造から始まり、自動車産業の発展とともに業績を伸ばしてきた。ところが近年、国内の自動車産業は、市場が成熟し飽和状態。中国などから、競合する安い化学製品の流入も増加。塗装技術の向上など自動車の高品質化も、アフターサービスで利用される塗装剤などの需要減につながっている。原料となる原油価格高騰も打撃だ。

顧客の困りごとがニーズ
 だが神戸合成では、事業環境の悪化の中でも、新たな顧客ニーズ開拓と新製品開発で、扱う製品をシフトしつつ着実に事業を継続しているのだ。
 同社が今最も注力しているのが、ガラス系ボディーコート剤。2006年に製品化、売上比率は年々上昇、07年度には40%を占めるまでになり、従来製品の落ち込みをカバーする。同製品は、耐久性に優れ、新車納入時にコーティングしておけば、一般の洗車機に掛けない限り、車のボディー塗装が5年間は美しいままに保てるという。これが顧客の新しいニーズをとらえた。
 神戸合成の2代目、宮岡督修社長は言う。「ディーラーは今、利の薄い商売で苦労しています。100万円の車なら1台売って利益は5万円ぐらいでしょうか。新しいニーズはここにあります。」 宮岡社長の発言の真意はこうだ。製品市場が伸びているときは、単純にそこに製品を投入すればよい。だが今は、顧客の困り事そのものがニーズであり、それに対するソリューションを提供することで商売が成り立つ。
 ディーラーにとっては、車の購入者=エンドユーザーにボディーコート剤を使ってもらえれば、自動車1台の販売で上がる薄利と同等かそれ以上の利益を上乗せできることになるという。
 ソリューションの提供では、顧客に対して細かく気遣う必要も出てくるようだ。「ディーラーには、弊社のフッ素系コート材とガラス系コート材とその特級品の3種類を用意してもらいます。すると、エンドユーザーは財布と相談して選べるので、ディーラーの営業マンもお客に声を掛けやすくなる」(宮岡社長)。ちなみに、同社のガラス系特級品は、エンドユーザーの心理に応える水弾きの見映えをよくした製品。同社はここまで考えている。
 このほか同社では、ディーラーの顧客満足度の高い店づくりに役立つ備品、店舗のキッズマット(子供の遊び場)や天然成分で作られた同マットクリーナーなどの製造販売も開始した。

社内体制整備にも注力
 一方、神戸合成は、海外市場もにらんでいる。発展途上国での自動車産業は今が伸び盛り。製品の投入段階から、ディーラーがアフターサービスを充実していく過程でも、日本でしてきているのと同様に商売になる。神戸合成では、既に海外進出の準備も進めており、実現すれば同社の飛躍につながる。  神戸合成は、工場新設の際、洗浄剤などをエアゾールとして充てんする設備を導入した。法律上、高圧ガスを扱う作業場は、製造ラインを収められるスペースを上回る建物の容積を求められる。厳重な防火設備も必要。同社が、これらをクリアーしてまで充てん設備にこだわったのは、製品のより高度な品質管理を目指したからだ。
 同社の研究室では、他社製品も含め、常に製品の成分や経年変化を管理している。ほかにISO9001(品質管理及び品質保証のための国際標準モデル)、同14001(環境マネジメントシステムの国際規格)の認証も取得するなど、社内体制整備にも余念がない。厳しい事業環境の中で、力強く事業を推進するには地道な努力も必要なのだ。


●会社概要
神戸合成株式会社
1956年創業、63年設立。ワックス、防錆剤、潤滑剤、洗浄剤、塗料など自動車用化学品を製造販売。成型離型剤など一般産業用化学品も扱う。年間売上高11億3800万円(2006年3月期)。従業員41人。本社:兵庫県小野市匠台10番地
TEL0794-64-7771
http://www.kobe-gosei.co.jp/

トップから一言

神戸合成代表取締役社長
宮岡 督修 氏

事業承継は偶然?異端者に白羽の矢

 現会長の娘が私の女房です。20代のころ、女房から親父さんの会社が好調ではないことを聞かされていました。28歳のとき、親父さんの会社を手伝うことを決め、弊社に入社。ところが、実際に中で働いてみると、思っていたより経営的に厳しい面が見えてきました。そのことで、若造ながらいろいろと提案しました。しかし義父は、聞き入れてくれません。入社まもなく、うるさい存在になってしまったわけです。
 結局、私は10年ほど前まで、自分の好きなことをやらせてもらえる別会社に出されていました。なぜ、そんな私が義父から事業承継を受けたか。
 もう故人となられましたが、義父にも信頼の厚かった弊社の従業員教育の恩師が、厳しく義父に跡継ぎはどうするのか、問い正したようなんです。そのときに恩師が跡継ぎとして推薦したのが、反抗するが新しいことを追求する私だったようです。私にとっては、事業承継も偶然というべきかもしれません。
 私には、やはり会長の娘婿である義兄がいます。恩師がいなければ、今ごろは義兄が継いで、もっと早くに大きな会社になっていたかもしれませんね(笑)。(談)

(NVCマンスリー2006年11月号より)